じんくんのWEB日記


by jinkun_40
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カテゴリ:日記( 52 )

上記のタイトルはジョシーのブログに投稿された、服部さんの記事のタイトルです。
服部さんの記事を読みながら、正直にこういう事を書ける人って素晴らしいなと感じた。
初めはうるさそうにましたが、
  やがて高校生活のことをポツリポツリと語り始めて、
     友達とうまくいかないとか、
        学校内で寂しくなる時があるなどと話すようになりました。
自分にも高校生の娘がいる。
娘は遠慮しているというか、あきらめているというかあまり頼んでこない。
でも少し前から部活で遅くなる時には近くの駅まで車で迎えに行くようにしている。
娘から「迎えに来てくれる」とメールがあると、嬉しいので少しくらい疲れていても頑張って迎えに行こうと思える。
この前も娘に「最近○○ちゃんのことかわいいなと思うんだよね」と話した。

娘は長女だったので、2~3歳位まではかわいい、かわいいで育てていた。
でも甘すぎたかなと思って途中から厳しくした。
でも今から思うと厳しくしすぎてしまったように思う。

娘の中には、厳しい父というイメージの方が強いと思う。
娘と関係が回復して、もっと話が出来るようになりたいなと思う。

皆さんもまだこの記事を読んでいなかったら、読んで見てください。
「子どもに謝ることの大切さ」(服部雄一)
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by jinkun_40 | 2006-02-17 11:10 | 日記

「帆を張ろう!」

以下は Be One Church のブログからの引用です。
15ヶ月前のリトリートのことです。
祈りの中でこういうストーリーを見ました。

僕はボートに乗っていました。
一生懸命オールを動かして前に進もうとしています。
ゴールを目指しています。

突然、声がしました。
「オールを捨てなさい。」

「えっ?」
耳を疑いました。
オールを捨てるということはリタイアを意味すると思っていました。
僕は声を振り切り、
一度止めた手を再び動かしました。

すると再び声が聞こえました。
やさしい声でした。
「ゆうじ、オールを捨てるんだよ。」
「私はあなたに風を送ってるよ。安心して。
その風はわたしが決めたあなたの人生のゴールまで
あなたを導くよ。」
「だから、ゆうじ、オールを捨てて帆を張りなさい。」

ひとつの聖書のことばが心をめぐりました。
ヨハネ15章
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

帆を張るとは神とつながることなのかあ・・・。

オールを捨てるのには勇気がいります。
しかし、決心が必要です。

オールを海へ投げ、
帆を張りはじめました。
だんだんと風をとらえていきます。
このとき、オールのときよりも体力を使ったのには驚きました。

少しづつ少しづつ前に進み出しました。
景色が変わってきました。
遠くのほうに数隻のボートが見えてきました。
同じように帆を張り、
風を受けて進んでいます。

さらに進んでいくと、
数えきれないほど多くのボートが見えてきました。
皆、帆を張っています。

「ゆうじ、わたしの風だけで進んでいるボートとこれから会うようになるよ。
その人たちと協力してゴールを目指しなさい。」

最近のトレーニングでは「聖霊の満たし」や「神の声を聞く」ということを特に大切に扱っています。
WWJD(キリストならどうするかを考える)は大切です。
と同時に「キリストに聞いてみる」も大切です。
神の不思議を経験する鍵だと思います。

キリストにつながろう。
聖霊にチャンネルを合わせよう。

最近、口ぐせのように言う言葉。
「失敗してもいいよ。」
失敗かなあと思ったら一緒に学ぼう。

生まれてすぐに歩けた人はいない。
三歩歩いて倒れたら、
天の父は二歩歩いたことを喜んでいるよ。
喜んでる父の声に耳を傾けよう。
「よくやったね。二歩も歩けたね。」

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by jinkun_40 | 2006-02-17 11:04 | 日記

「一人旅」

今、息子が一人で旅行に行っている。
自分でいろいろ調べて出かけて行った。

そんな息子を見ながら自分の大学1年の時のことを思い出した。
自分は大学1年の授業が終った2月末から3月の末にかけて一人で広島に出かけた。
友達から寝袋を借りて公園とかで野宿する予定だった。

広島に行った理由はいくつかあった。
当時自分は広島出身の「吉田拓郎」に憧れていた。
広島には文通していた友達がいた。
その娘は拓郎と同じ「広島皆実高校」の出身でした。
また当時好きだった作家「三浦綾子」さんがクリスチャンだったのでキリスト教にも興味をもっていた。
文通していた彼女は「広島キリスト教会」に行っていた。
吉田拓郎などを通じてヒッピー的なことに憧れていた。

広島に向かう朝、寝袋を貸してくれた友達が新横浜駅まで見送りに来てくれた。
途中まで新幹線で行って、途中から各駅停車に乗り換えた。
広島の駅が近づくに連れて、電車の中は人がいなくなってすごく心細くなった。

夜10時過ぎ頃に駅についた後、どこかで野宿をしようと駅の近くをブラブラと歩いた。
多分「駅前橋」あたりの川沿いの公園だと思うが寝袋で寝ようとしたが、寒くてあきらめて広島駅に戻った。

駅のベンチで夜を過ごそうと思っていると見知らぬ男の人が声をかけて来た。
一人目の人と近くの喫茶店に行ってしばらく話していた。
するとその人が1000円くらいだったかな、くれてこれでどこか泊まったらと言って帰っていった。 
後で考えるとその人の目的はいかがわしい目的だったような気がする。
その次に声をかけて来た人に自分はついて行って、その晩その人の家に留めてもらった。

次の日に文通の彼女に会って、その日の夜からは教会でずっと留めてもらった。
その間にイエス様を信じるようになった。

当時は携帯電話もないので、今のように簡単には連絡はとれなかった。
親に泊まっていた教会の電話番号は知らせたけれど、ほとんど連絡はしなかった。
親はどんなふうに思っていたのだろうか?
心配だったかな・・・
自分ならとてもそんな事許さなかったと思う。

そんな事を思い起こしながら、子離れしないといけないな~と感じています。
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by jinkun_40 | 2006-02-08 16:19 | 日記

「謝らないと叱られる」

何が理由か分からないが、父親は良い子でいなさいと、娘を玄関につまみ出して、謝るまで、部屋に入れなかった。(何度もした)
娘の心には恐れが支配し、おしっこをちびった。 
すると、また怒った父親が、娘をつまみ出した。
上記の文章は「謝らないと叱られる」からの引用です。

昔、旅行先で長女を叱って車から引きずり出したことがあります。
去年そこを通った時に長女に謝りました。
そしたら「お父さん、前に通った時も謝ったよね。」
と返って来ました。

その場所は、沼津市戸田の「よしの滝」の駐車場だと思います。

そんな出来事をジョシーのブログを読みながら思い出した。

「長女よ。ごめんね。」


自分は父親から小学生の頃、勉強をさせられていた時に、
分からなくて父にいろいろ言われ泣いてしまった事がよくあった。

なんせ父は私の姉の時には50CMくらいの竹の物差しをもって勉強を教えていたという。

自分が泣くと、父は「泣くんじゃない」と言って叱った。
そうすると僕はよけいに泣いてしまった。
そしてまた叱られるということの繰り返しだった・・・

そのようにして育った自分の中には
「押さえ切れない怒り」
「恐れ」
「劣等感」
「人間不信」
などなどがあったな~と思う。
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by jinkun_40 | 2006-02-08 14:45 | 日記
「日本アダルトチルドレン協会」のページに以下のような説明がありました。
ACとは、子供時代に主に親子関係の中で心の傷を受け、この心の傷が癒される時期が無いまま成長し、その影響で現在も“生き苦しさ”に悩んでいる成人を意味しています。

「アダルトチルドレンの問題」のページには以下のようなACの特徴が書いてありました。 それぞれについての説明はリンク先を見てください。
*先取り不安と時間感覚の障害
*見捨てられ不安
*マインド・リーディング
*承認欲求と愛されたい願望
*テスティング
*親密感と距離感の問題

*対人恐怖
*自他の境界線の問題
*白黒思考
*完璧主義
*パワーゲーム思考
*自己主張の問題

*責任感の問題
*自分の感覚や感情への不確実感
*怒りの感情と、その表現の仕方(伝え方)の問題
*淋しさの感情 と、その感情との“つきあい方”の問題
この特徴を読んで自分が思い当たる(思い当たった)ものを青文字にしてみました。
ん~ん。 ほとんどだ。 (^_^;)

「アダルトチルドレンの役割」というのでこんなのもあった。
*ヒーロー、スパーチャイルド(優等生・英雄)
*スケープゴード(暴走する子・いけにえ)
*ロストチャイルド(忘れ去られた子)
*クラウンマスコット(道化師)
*ケアテイカー(なだめ役・ミニカウンセラー)


「アダルトチルドレン(赤城高原ホスピタル)」
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by jinkun_40 | 2006-02-06 17:22 | 日記

「父との関係」

「喜んでオレ自由になった」
「子どもになるぞ~」
「かわいそうな父」

上の3つはジョシーがブログに自分の父親との関係について書いたものです。
その中にこんな言葉があった。
自分にとっては、「自分」が生きられないなんて、死んだ方がましなくらいの出来事だ。 だから、父に従って、家業を継ぐことは、「廃人」になることを意味していた。 自分の道を「自分は選んだ。」 しかし、おやじに愛され、認められることは「あきらめた。」
父親が支配しようとして関わって来た事は僕の場合と同じだなと思う。
でもそれに対する反応の仕方は逆だった。

僕は中3の時に髪の毛の事で自分の意見を通そうとして、父に力で押さえつけられた。
それから父に正面から逆らう事は、あきらめた。
それでどうしたか?
父を避けるようになった。
日曜日など休みの日はなるべく家にいないようにした。
また長期の休みの時は、短期講習に行って家にいないようにした。
普段でも夜になると、家から出かけて近所などをふらふらしていた。

自分は嫌な事があった時、自分と考えが違った時に、はっきりと「ノー」を言ったり、自分の意見を言う事が出来ないところがあります。 (NOが言えない日本人です。 笑)
それでどうするか?
黙ります。 そしてその場から逃げようとします。

僕は昔、エホバの証人の人と学びを1年間位してました。(クリスチャンになる前のこと)
その時に、質問されて自分の考えと違う事を応えないといけない時に、よく黙り込んでいました。

そんな事を思い出しました。
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by jinkun_40 | 2006-02-06 16:29 | 日記
「喧嘩する両親の姿を見て、ひきこもった」
これはジョシーの1月26日のブログの記事です。
これを読んで感じた事を書きます。

自分の両親もけっこう喧嘩をしていました。
印象的な喧嘩の例

・お正月のこと喧嘩して父がお皿か何かの食器を庭に面した扉のガラスに投げつけて割った事があった。 
 その後母がそれを片付けていた時かな、「もし食器をわたしに投げていたら離婚してた。」って言っていた。

・喧嘩が終わって母が洗濯機のある方に行ってウイスキーをストレートで飲んでいた時(よくしてたと思う)、父がウイスキーのボトルを取り上げてそれを流しに捨てた事があった。
 その時に母が泣きながら、それだけはしないでと父にすがり付いていました。 
その姿はとてもショックでした。 アルコール依存症になってしまうのではと思いました。

・両親が喧嘩していた時、自分は二階にいた事がありました。 その時に自分は二階で両親の喧嘩している内容をじっと聞いていました。
 聞くのはいやだったけど、自分で自分にそれを義務づけていました。
 それが自分のすべきことだと言い聞かせていました。 (歪んでるよね。)

あとの2つは自分が大学生の頃のことだった思う。

自分は結婚する時に、「自分が家を出たらあの父から母を守る人がいなくなってしまう。」
と思って辛かったのを覚えています。

自分と母との関係は母と子というより、親子逆転していて母の親代わりだったり、夫代わりだったりしていたように思う。
母はそう思ってはいなかっただろうが、自分の中ではそんな感じだった。

そういう面では母に甘えられなかったんだなと思う。
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by jinkun_40 | 2006-02-01 18:12 | 日記
b0039295_2103464.jpgこの写真は小学生の低学年くらいかな?
かわいいでしょ。 (笑)

自分は母の前で高校時代に一度だけ、ギターの弾き語りをしたことがあります。
「花言葉」という歌です。
母が「この歌は○○の歌だね。」と聞き終わってから言ってくれました。
○○のところの言葉は覚えていませんが、受け止めてくれたように感じて嬉しく感じました。

この事をこの前ドライブしながら、思い起こしました。
そして思ったのは、自分は母から受け止めてもらった体験が少なかったのかもしれないなと言う事です。
だから、歌の感想が今も残っているのかもしれないと思います。

母は夫(私の父)の機嫌をいつも気にしていました。
父は怒ると大きな声を出す人でした。 
そんな父を怒らせないようにと母はしていました。

母がなくなる少し前に、僕は救いの証を読んでもらったことがあります。
それに対する母の応えは、
「お父さんが生きている間はお父さんの嫌がる事はできないよ。」ということでした。
(歪んでいる関係だよね。)

父は積極的に僕の気もちを否定していました。
母は消極的に僕の気もちを否定していました。

たとえば、中3の時に父に逆らって僕は髪の毛を伸ばそうとした事があります。
その時に、父ははさみをもって僕の上に馬乗りになり、力ずくで僕の髪の毛を切りました。
その時、母は何も言いませんでした。

父の事も辛い出来事でしたが、母が何も言ってくれなかったのも僕には辛い経験だったように思います。
ただ、母は自分自身が父との事で不安で、僕の気持ちがたとえ分かっていたとしても受け止める余裕がなかったんだろうと想像しています。

こんな両親の元で育った自分の中にはある一つの確信がありました。
それは
「どうせ誰も自分の事なんか分かってくれない。」
という思いです。
そして
「人から分かってもらうことをあきらめる。」
そんな決心をしていたように思います。

分かってもらえない辛さを感じたくないから、人に期待しない。
分かってもらおうとして期待して後でがっかりしたくないから。
だから、あまり説明をしないで
「ほーら、やっぱり分かってくれないじゃないか。」
と思って自分を守ろうとしていた事が多くありました。

1~2年前にこの事に気が付いて、この「内なる誓い」を断ち切るお祈りをした事があります。

今でもそんな思いがやって来る時がありますが、気が付いているのでその嘘に騙されないように注意しています。
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by jinkun_40 | 2006-01-30 21:45 | 日記

「父の思い出」

b0039295_202256.jpgこの前、夜気分転換にドライブをした。 
どこに行こうかと考えていて、自分が生まれた町(横浜市港北区綱島)に行ってみようと思った。
車で20分くらいかな。 
そこに行った後、母方の祖母の家に行った。 
同じ綱島にある。 
そこに行くのは、30年ぶり以上だと思う。 
小学生の頃は時々遊びに行っていた。 
泊まったりした事もある。 

その後、卒業した高校の近くに行ったりした(道を間違えて学校までは行けなかった。 汗)。 
そんなふうにして帰って来た。 
2~3時間のドライブだったかな。 

そんな中で思い起こしたのは、父の事だった。

自分は昔は父が大嫌いだった。 
僕の話を聞いてくれなくて、父の価値観を押し付けられてずっと来た。 
勉強でも野球でも、父のアルバイトの仕事の手伝いでも。
父は僕の為に良かれと思って押し付けて来た。

父は子どもの時に親戚に預けられて苦労している。
また戦争の時にもマラリヤに罹って死に掛けている。
そんな中で父の価値観には「強くないと生きていけない。」
みたいな考えがあったと思う。 
姉二人の後に生まれた僕は甘えん坊で、泣き虫だった。
それではこの世界で生きていけないと思ったんだろうと思う。
そして父の価値観に合うように僕にいろいろ言って来た。

でもそんな父を僕はずっと避けていた。


それなのにドライブしながら思い出すのは、不思議な事に父に関係する事が多かった。

この道は子どもの頃、父の車で走った道だなとか、ここを左に曲がると父が車を買ったお店があるとか、ここの道は父に教えてもらって僕が会社に車で行く時に通った道だなとか・・・。

そんな事を思った時にとても不思議な気持ちがした。
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by jinkun_40 | 2006-01-30 20:15 | 日記

「自分で決める」

●ビジョン「自分で決める」 
◆「相手が決めたことを尊重する」 
◆「相手が聖霊に従えるように助ける」 
自分と他の人との関係で一番難しさを感じるのは、「相手が決めたことを尊重する」だなと思う。
言葉では自分で考えて、自分で決めるように家内や子どもたちにも話をする。
でも自分で考えて決めた事が、わたしの考えと違うとどうしてもそれを尊重するのが難しく、誘導質問したり、非難したり・・・。
自分自身は、尊重して欲しいし、聖霊の導きに従えるように助けて欲しいと強く思うのに。
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by jinkun_40 | 2006-01-23 21:33 | 日記