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じんくんのWEB日記


by jinkun_40
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「国を弟子とするために」

6月6日~10日に、横浜の本郷台キリスト教会において、JCMN主催『ビジョンカンファランスin 横浜』が開催されました。 それに参加された北海道の手稲福音キリスト教会牧師、益田良一師のレポートをJCMNのホームページから転載します。

「国を弟子とするために」

イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。
「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。
そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。
見よ。 わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
(マタイの福音書28章18-20節)

私たちのビジョン「ミッション2010」道標聖句である。 置かれた地域に対して「私たちにも何かできる」と信じて、さまざまな方策を祈り求めている。 「家の教会」になり10年、地域に対して「何かできることはないか」と祈って来た。 
そして昨年秋、ロバート・モフィット師(ハーベスト・ファンデーション総裁)が、「地域社会への教会の役割」セミナーを札幌で開催してくださった。 その後、家々で「私たちにも何かできる」という思いが強められていたのである。 
そして、この度のビジョンカンファランスでは、「もし、教会が国を弟子化しないなら、国が教会を弟子化してしまうだろう」と、冒頭から語られた。 五日間をとおして沢山のチャレンジがあったが、その中から、未だ整理しきれない頭ではあるが、思い出しながらいくつかの事を証しをしたい。



1.イエスの成長と贖い
イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。
(ルカの福音書2章52節)

イエスは、知的に、肉体的に、霊的に、社会的に調和ある成長を遂げられた。 そして働きにおいても「教え、宣べ伝え、直され」(マタイの福音書9章35節) 全人的に福音を伝えられた。 そして、イエスの血における和解の対象は「万物、地にあるものも天にあるものも」(コロサイ人への手紙1章20節)である。 
私たちは、霊的な面のアプローチは懸命に成して来たが、人の肉体や社会的な面に対する配慮と奉仕において充分ではなかった。 盛んに知的にみことばが説き明かし、意思を持って応答するようにアプローチしてきたが、その人の感情にある痛み、傷、汚れや罪を認めずに来たのではないか。 イエスの十字架はこの点においても有効に働き、私たちの信仰を全的に建て上げる。 私たちのできる全てのことで、導かれてこの地域に仕えたい。

2.教会を通してなされる神の贖いの計画
こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。 (エペソ人への手紙4章11-13節)

立てられている働き人は、教会を「奉仕のために聖徒たちを整える」。 信じる者の一人ひとりが、その在り様、賜物や存在において喜んで神と人に仕えることができるように、<破れを繕い、曲がったところを真っ直ぐに>する私たちの働きとは何か、ホーリステックに求めたい。 そして、「召しにふさわしい、御霊の一致」真の一致は、「奉仕の働きをさせる」ことにおいてのみ実現することを確認された。 神学理解について議論したり、教会組織を整えることや賛美形態を論ずることにおいては、決して促されないことだ。 
私たちは、[家の教会]の中で、一人の人が霊的内的な戦いや家族関係の調整の中で主に従う者となる経緯に関わる信徒の祈り、心遣い、愛ゆえの泣き笑いを見るとき、そこに一致がうまれ、霊的な成長が促されるのを数々見せられている。 人の救いと開放に仕えるとき、人は神の前に成長するのだ。 教会の成熟「キリストの満ち満ちた身丈にまで達する」とはこのことではないか。 だから強調したい。 この国に福音が満ち、弟子化されていくために、神は、ご自身の教会を用いられるのだ、と。

3.決定的な信念
そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。 そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって、多くの不思議なわざとあかしの奇蹟が行なわれた。 信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。 そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。 そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。 主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。 (使徒の働き2章42-47節)

私たちのモデルは初代教会にある。 何度もこのみことばを味わい、思い巡らし、みこころを求めてきた。 今回のカンファランスでは興味深い資料が提示された。 信者でない社会学者ロドニー・スタークの、ローマ社会にインパクトを与えた当時の「教会の信念」を見たい。

 A. 神は神を愛するものたちを愛される。
 B. 憐れみ深い神は憐れみを求められる。
 C. 容赦ない冷酷さとは共存できない。
 D. 人種差別のない文化--貴人と奴隷も。
 E. 人はその妻を自分のように愛すべきである。
 F. 人工堕胎、乳幼児殺害(間引き)を拒絶する。
 G. キリスト者、他の人々を問わずに人を愛する―病める者を看る。

ローマ帝国は冷酷な神々を礼拝し、容赦のない法と力による平和をもってその領土を広げていた。 教会は、共同体生活をもって互いに愛し合い、家族を大切にし、生命を聖とし、必要をもつ人々に仕えたときに、「すべての民に好意を持たれた」のもうなずける。 自ら教会が成長することを求めたから成長したのではない。 人々の必要に仕える事をしたから成長したのだ。

最後に、「種まきプロジェクト」をグループで実践をした。 「私たちにも何かできる」との感を強くし、ワクワクするときだった。 私たちの「家の教会」で既に取り組んでいる「インタレスト活動」と同じ内容のものだった。

家々に集まる人間関係を土台にし、地域の人の必要を祈りつつ探り、できるところから小さくスタートする。 神はビジョンを進め、大きく成長させて、隣人に仕える機会を拡大してくださり、日本中の教会が国の弟子化に取り組むことができることを信じよう。
by jinkun_40 | 2005-07-06 21:40 | ホーリスティック