「仲間ではないので」(マルコ9章)
2005年 11月 09日
「先生。先生の名を唱えて悪霊を追い出している者をみましたが、私たちの仲間ではないので、やめさせました。」(マルコ9:38)
先日紹介した「ミッドライフ」という文章の中にこんな事が書いてあった。
クリスチャンや教会、キリスト教団体の働きを見ていて、その働きが方法論や結果に目が向きすぎているなと思う時がある。 そして自分のやり方を理解してもらえなかったり、批判されたり、教えられたりした時には相手を批判し、攻撃したくなる事がある。
でも、イエス様なら「やめさせることはありません。」(マルコ9:39)と言われるのだろうと思う。
自分と方法や価値観が違う人たちを裁く必要はない。
いやし、奇跡、悪霊追い出し、伝道方法、賛美などいろいろな方法、働きがある。
それらを自分の考えややり方と合わないからと言って裁くのは天のお父さんの心ではないですね。
お父さん。 あなたの心で生きる者としてください。
パウロもピリピ1:17、18で
「他の人たちは純真な動機からではなく、党派心をもって、キリストを宣べ伝えており、投獄されている私をさらに苦しめるつもりなのです。 すると、どういうことになりますか。 見せかけであろうとも、真実であろうとも、あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられているのであって、このことを私は喜んでいます。 そうです、今からも喜ぶことでしょう。」
って言ってますね。
先日紹介した「ミッドライフ」という文章の中にこんな事が書いてあった。
アメリカで男性の「中年期」に関する本を書いてベストセラーになっているパトリック・モレリー氏は人生の前半、後半で価値観が以下のように変わるという。これをまとめると、「方法論から本質へ」「目に見えるものから目に見えないものへ」の変化と言えるかな。
1)「能力」で判断するより、その人の「人となり」に関心が向く。 2)「消費」する人生から「貢献」する人生へ 3)「パフォーマンス」から「意味」へ
4)「単なる成功」から本当の「人生の成功へ」 5)「達成」から「意義へ」 6)「行動」から「平和」へ 7)「結果」から「美」へ 8)「効率」から「美学」へ
クリスチャンや教会、キリスト教団体の働きを見ていて、その働きが方法論や結果に目が向きすぎているなと思う時がある。 そして自分のやり方を理解してもらえなかったり、批判されたり、教えられたりした時には相手を批判し、攻撃したくなる事がある。
でも、イエス様なら「やめさせることはありません。」(マルコ9:39)と言われるのだろうと思う。
自分と方法や価値観が違う人たちを裁く必要はない。
いやし、奇跡、悪霊追い出し、伝道方法、賛美などいろいろな方法、働きがある。
それらを自分の考えややり方と合わないからと言って裁くのは天のお父さんの心ではないですね。
お父さん。 あなたの心で生きる者としてください。
パウロもピリピ1:17、18で
「他の人たちは純真な動機からではなく、党派心をもって、キリストを宣べ伝えており、投獄されている私をさらに苦しめるつもりなのです。 すると、どういうことになりますか。 見せかけであろうとも、真実であろうとも、あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられているのであって、このことを私は喜んでいます。 そうです、今からも喜ぶことでしょう。」
って言ってますね。
by jinkun_40
| 2005-11-09 10:16
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